嗚呼やる気が…

2月の日記の少なさはいったいなんなんだろう。
去年の同じ時期のがもちょいヴォリューム在ったような
でまあ、忙しいわけですよ。
短文をまとめあげるのに時間がかかり、それに労力を費やす余裕がないわけですよ。
大したこと書くわけでもないんだけどね、
シニチロの文章に対する薄皮一枚分の矜持とでも言おうか。

観劇にいってきた、一昨日
僕らが非情の大河をくだる時
畏友が出演しているので・・・というくらいの理由だったんだが。
とりあえず1年半ぶりくらいであろうか、観劇なぞ。
ひさしく芝居から離れていたが
ひさびさに見る芝居にしては随分とヘヴィだった。

見方が変わっていた、大分。
前どういう芝居の見方をしていたかなんざいちいちおぼえちゃいないが
なんつーか売り物としての判断を下してしまう自分がいる。
畏友曰く
お前、見事に商業サイド側人間になったなー
とのことだが、うん、自分でもそう思う。
売り物になるかならんかで物見てるしな。
いやBALLTZARAの頃もそう思っていたが、
あくまで演劇人側からの視点にすぎず、だからこそ
件の時期には微黒出すのがやっとだった。
芝居って売れなくて大変だわさ、とか思うわな。

改めて芝居から離れてみると
よくもこんな怖い世界に居続けたもんだな、と。
キャパシティの問題があるからこそ売り上げに制限がある。
モテる人がいないからこそ集客に問題が出る。
芝居の世界は無くなって欲しくないと心から願っておりますが、
今現在の芝居の立ち位置、芝居に携わる人の意識とか考えると
遠くない将来まじなくなっちゃいそうでこわいなーとか思ってみたり。

インターネットが世の中に出現した当初は
それこそ新聞屋が新聞なくならんように努力したが焼け石に水だった。
水だったけど、新聞は無くなっていない。紙媒体は無くならない。
紙媒体を必要とする世代がいるってのもさることながら
紙媒体はその一定のクオリティをクリアし、なおかつ商業としてペイできるから
生き残ることが可能だったんじゃないかとおもう。
芝居もクオリティの面ではクリアできる作品は(山ほどではないが)あるにはあるが
商業的にペイできないつーのが痛い。
いや、ペイしてる芝居あるか、四季なくならないもんな。
でも中小芝居集団は絶滅だな、このままだと。

本音を言うと、芝居して飯が食えれば幸せこの上なかったと思う。
ただの一言もあのとき言わなかったが、実はそう思う。未練がある。
ただ、商業の道をすこしかじり、飯を食うということの大変さが良く分かった。
人が金払うタイミング、どうやったら金が儲かる、
金を人に出させるためには何をすればいいかということをこの3年でまじまじ見た。

閑話休題

芝居時代に仲の良かったK氏が小劇場界では結構ステージの高い集団の長であることを聞き、
そこで一番がっくしきた。
なにががっくしって年は2年くらいしか違わんのに
方や「舞台監督ならこの人だ!」みたいな状態。
それはさておいても、好きなことを続けつつなお飯を食い、
そんでもってそれ相応の位置にいる、いってしまわれた、いったとき
ってのががっくしきた。

このジョルノ・ジョヴァーナには夢がある。

みたいなノリだな。

昔と今で一番変わったとおもう部分は
何かを得るためにはなにかを犠牲にしなきゃならんという場合に
犠牲を最小限に抑える工夫ができるようになったことと、
工夫を学んでしまったことか。

是非フォローしてください

最新の情報をお伝えします

2 thoughts on “嗚呼やる気が…

  1. 人生はやりたいこと全部は出来るようになってないなと思う。
    やりがい/お金/時間/余暇こういったものの中から、おのずと自分の能力と主義から生き方をチョイスしていかなきゃならんと思う。

    >何かを得るためにはなにかを犠牲にしなきゃならん(略)
    あたりに同意!ヽ(`д´)ノ

    だらだら~と仕事しながら、楽しく暮らしましょうって話だ

  2. 文学風に言うと、「それが大人になること」って感じやね。
    要領よくなるのと同時に、寂しさを感じるわ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA