感想まとまってないし、あっても大した量じゃないから
FBにちょこちょこっと書こうと思っていたけど、予想外に埋没するので
ブログにメモっておく次第。
見に行った芝居は
山の手事情社 うリアしまたろ王
雑な説明
ホームレスがリア王する、リア王を葬るのが乙姫。
山の手事情社を見始めてからもう22年くらい経つ。
とはいえ最初の5年くらいこそそれこそ毎公演2回ずつくらい見てるほど好きな劇団だったんだが、
やっぱりそれくらいからか、劇団の台所が苦しい、みたいなことを言い出して
いや言うのは自由なんだけど、賛助会員募集とやらをみてから
足が遠のくようになった思い出がある。丁度働き始めたってのもあるけど。
97-99年くらいまではもう主催の安田雅弘さんに心酔していたかもしれんくらい夢中になってたんだけどな。
いろいろあって、しかしながら98年に我々の公演に安田さんに来てもらって
その後八王子に呑み行ったときにお話したうち、2点だけ、
未だにずっと頭に残っているし、ある意味座右の銘となっていることがある。
1「まずは食えること、話はそれからだ」
2「面白くないことを存在否定する必要はない、ただし認めるか認めないかは別だけど」
1は会社員やってるときも、そして自営業になった今も、
芝居やっているときも何している時でも常に頭にこびりついていたし、
未だに全くその通りの話だと思う。
当たり前のことなんだけど、芝居やっている当時は全然んなこと考えていないから
とても衝撃的な話だった。
そもそも学生が食う食わないを気にすることがあまりないって話だけど。
2は正直聞いた時点でよくわかってなかった。
面白いものって要らないじゃんて普通に思っていた。これも若気の至り。
自分にとって摂取する必要があるかないかと、他人にとってのそれを
まったく同一視していた。何様なんだか。
22年経った今、いろいろな表現が自由に、しかも瞬時に伝播する世の中になり、
それを否定する動きもまた瞬時に広がる世知辛い世の中になり、
より一層実感が沸いた気がする。
今回の観劇も数年ぶりの出来事だったので、
そんなことをしみじみ思い出しながら観ていた。
山の手根っこのかっこよさは変わっていない。
さて、これは致命的かもしれん一言なんだけど、
今回正直面白みが感じられなかった。
これも芝居を評価する上で重要なので付記しておきたいが、
龍宮チケットを購入した。
こちらのチケットは本来4500円のチケットであるところ、
劇団支援の費用として5500円を乗せて10000円で購入するチケット。
じゃあ5500円分のインセンティブがあるかというと、ない。
若干見やすい席を融通できます、とは書いてあった。
実際見やすい席だったけど。
今回このチケットを購入した動機は上記リンク先にて記載があるとおり、
劇団存亡の危機、ということで支援かつ、
これからもっと面白いものが観たいという期待票として購入した。
あとは上記1にあるとおり、「食えること、話はそれからだ」が大きい。
で、何が面白くなかったかをずっと考えていた。
一言で言うとお膳立てが悪い。
一つ一つの要素は本当にカッコ良くて、
でもなんだかその要素が話として繋がっていかない。
この芝居は「リア王」だったけど「浦島太郎」ではなかった。
そこが一番不満かも。
浦島太郎ってのは乙姫が浦島太郎たりえるのか、
玉手箱が浦島太郎たりえるのか。
脚本が「これは浦島太郎なんです」と言えばそれはその通りだろう。
でも俺はそう受け取れなかった。
受け取れなかったということでお膳立てが悪い、という話になってしまう。
商売始めたからかな、
お客が思ったとおりに意図を汲んでくれないのはお膳立てが悪い、
という風により強く考えるようになっているとは思う。
学生の頃とか普通に「我らの面白さが分からぬ客は要らぬ」とか思ってたのに。
フォローのつもりはないと断り書きをした上で
格好良いと面白くないは両立し、
面白くないとつまらないはイコールではないとついでに書いておく。
好きじゃないものが嫌いなものとは限らないでしょう?みたいな。
ただ、そんなことを考えている俺に
小劇場の観客という居場所はもうないのかな、と思ったり。
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