JAFに入ってみた

昨晩JAFの会員証が届いた。
新車納入に合わせて入会したわけである。
ところで、自分の周囲に車をもってるやつぁゴマンといるが
JAFに入会してるってのはいない。
普通は入らぬであろう、私もかつて事故でJAF呼ばなかったら絶対入っていないと思う。
かつてこの話書いたな~とおもったら
旧Labo時代のコラムだったんでサルベージでもしておこう。

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とある災難な平日

それはまだ私が小学生(5年生)の頃のお話です。
ある冬の日(あると書いたけど当然日時は覚えています
その日は平日にも関わらずたまたま学校が早く終わり、家に帰ると
これまた何故か早く仕事の終わった父親と叔母がスキーに行くところに
「たまたま」鉢合わせました。
たまたま、しかしながらこの「たまたま」が今日この日をこんなに長くするとは
そのときは想像だに出来ませんでした・・・。

で、当然流れで私もスキーに参加することになりました。
近場の山のH山へGO!
乗っていた車はビートルの愛称で親しまれているW社の車です。
そのフォルムに当時の私はぞっこん。お気に入りの車でした。

さてスキーを存分に楽しんだあと、家路につくことになります。
スキー場がある山道なので当然周りは雪だらけ。
ウチの父親、子供の頃からH山によく行っていたので
獣道などにも詳しいです。
この獣道と書いた道、舗装はされていませんが
車一台くらい通る余裕はあります。
夏の頃は良く我々を乗せてこの道を通って下山していたりしたので
今日もこの道で帰ろうと言うことになりました。
獣道故、普通の人はまず通ろうと思いません。空いています。

さて、獣道を10分くらい走った頃です。
突然車が止まりました。
一同「???」
エンジン音はするのに前に進まない・・・どうやらワダチにはまってしまったようです。
父親「まいったなぁ・・・」
ともかく善後策を一生懸命練ります。
以下「実行した順番」で箇条書きします。

作戦その1(敷物)
ぬかるみにはまったときなどタイヤに摩擦力を付けるために
物を敷いてタイヤのグリップを高めるという作戦。

結果:敷物の段ボールが粉々に破砕されしゅーりょー。

作戦その2(掘削)
ワダチの真ん中の高い部分を削れば乗り上げてる障害が無くなるわけだから
進むんじゃないか?

結果:2m進んだ。

そのあと再びつっかえた。

作戦その3(チェーン)
地元では雪山走ってもチェーン巻く人なんて驚くほどいないです。
なにせ当時はスパイクタイヤOKでした。(ビートルはスタッドレス)
うちの父も例外ではなかったので仕方なくチェーンを巻くことに
因みにこの辺で既に2時間経過辺りは暗くなり始めています・・・。

結果:地肌が見えた。

作戦2と3を一緒に実行していれば・・・後悔しても始まりません。
何せ3人とも疲れMAX。(そもそも午後一杯スキーやったあとだっつーの)
午後八時になっても動く気配のない車。
腹が減ってきたので何か無い?って聞いたらありました。
何故か後部座席にサラミが数本。
それまでの人生で一番貧しい夕食に素で泣けました。

貧しい夕食に腹を和ませたあと、結局救助を呼びに行くことになりました。
父は車に残り、私と叔母でさっきのスキー場の近くにあるH山観光事務所まで、
あ、その日はこれまた「たまたま」荷物を減らすために
私と叔母(つまり運転手以外)はスキー靴で家から直接来ていました。
前代未聞のスキー靴登山です。

50分くらいの登山で漸く観光事務所にたどり着きました。
事務所の扉をノック。事務所のおじさん登場。
・・・アア神サマ・・・
叔母が事情を説明して電話を借ります。
勿論かけるところはJAF(日本自動車連盟:車関連のレスキュー隊です。)
何とか事情と場所を説明してどうやら救助に来てくれることになりました。
事務所の人に丁寧にお礼を言って、動かぬ車へ向かって下山です。

当然スキー靴でな。

車に戻って30分くらい経ってからでしょうか、
JAFの救助隊が来てくれました。
地獄に仏です。蜘蛛の糸です。
このことがきっかけでランドクルーザー(車の名前です)は
私の中で最も頼れる車に位置づけられました。

JAFの人と作戦打ち合わせをします。
結果、
このまま車を引っ張るのは大変難しい、一旦後ろへ引っ張り
ある程度離れたところからまた勢いをつけてワダチを走り去る
という作戦が出来上がりました。
私はまた引っかかったらどーすんの?って突っ込みたくなりましたが
幸いにも一度引っ張ったらあとはすんなりと勢いで下山できました。
ああありがとうJAF。ハラショーランドクルーザー!!
時刻は既に11時を回っていました。

ここで終わりますか?いや終わりません。

さて、無事下山した我々はとりあえずH山の近くにある
祖母の家へ向かいました。
一旦体を休める目的で。
祖母の家に着くと叔父が待機しており待っていました。
私はとりあえず凄い空腹だったので
祖母に鰻を焼いてもらい食べました。
子供心に九死に一生を得る経験をしたあとでの食事は美味しかった
あの鰻の味は一生忘れません。

叔母は叔父の車で帰ることになり
私と父もそろそろ帰ろうかということになって
2パーティで祖母の家を出発することにしました。
隊列は我々の車が先導です。

その日は午後からの降雪で山を下りても地面に雪が残っているような状態でした。

さて、我々の車が祖母の家から5分くらい行った所にある
I温泉の角を左折しようとしたときに
急に時間がのろくなりました。
現実にはそんなことはありません。しかし言葉にすると
そしていくら記憶を戻してもやはりそう感じました。
左折する向かい側のラインには日通の大型トラックが走っておりましたが
左折の際に我々の車はアイスバーンに引っかかって

見事にトラックに体当たりを敢行。

助手席に私、運転席に父親。
ビートルは左ハンドルなので当然私はトラック側です。(泣
実にこの瞬間が長かった・・・。

数秒後
ビートルは前右半分が完全にひしゃげた状態で停止。
トラックはI温泉の看板を大破して停止しました。
気が付いたのは全てが終わって一分くらい経ったあと
叔母が声をかけてくれたときです。

これほどの事故にも関わらず、
超奇跡的に車室内はほとんど無事を保っていました。
変わったことと言えば物が吹き飛んでいた事くらい。
私も父もかすり傷一つなく完全に無傷でした。
トラックの運ちゃんも無事、つまり物損のみです。

それにしてもこの日の出来事痛すぎです。
後日父に「怖くなかったの?」って聞いたら
「もっと死ぬような事故したことある。」って返事が返ってきました。
だったらもっと気をつけろ~~~~~~~!

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つか重いわ。話がね。
ともあれ、こんな凄まじい経験をしているものだから
未だにJAFの人は俺内ヒーロー。まぎれもなくヒーロー。
事故ってのは気をつけて防げきれるもんじゃあないので
もし遭遇しても最小限にするための準備をしておくこった!
ってのを思い知らされているので、まあなんというか

JAFさんこれからもよろしくおねがいしますm(__)m

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